・いつも人と比べてしまい落ち込むことが多い
・将来に対して漠然とした不安がある
・自分の能力の低さにガッカリすることがある
・コンプレックスの正体がわかる
・コンプレックスとの向き合い方がわかり自分を好きになれる
・コンプレックスを武器にするヒントが見つかる
コンプレックスとは?
コンプレックスとは、心の中にある感情が結びついて、普段の考え方や行動に影響を与える現象のことです。心理学者のユングは、これを「感情で色づけられた複合体」と呼び、後に短縮して「コンプレックス」と呼びました。コンプレックスには、自分よりも他人に劣っていると感じる劣等感や、他人よりも優れていると感じる優越感の両方が含まれます。コンプレックスを解消するには、その感情に立ち向かったり、困難な経験をすることや、特定の儀式的な行動が必要と考えられています。ユングは、コンプレックスが新しい目標に向かうためのきっかけであり、自分の統一を高める手助けをしてくれるものだと考えました。
コンプレックスは指標化されていて、定量的に測定することも可能です。
コンプレックス指標(complex indicator)の測定に用いられる項目
(1)反応時間のおくれ
(2)反応語を思いつけない
(3)刺戟語をそのままくり返して答える
(4)二語以上を用いて反応する(たとえば「頭」に対して「頭が悪いと損です」と答えたりする)
(5)明らかな刺戟語の誤解
(6)再検査のときの忘却や間違い
(7)刺戟語を外国語に訳して答える(たとえば「頭」に対して「ヘッド」と答えたりする)
(8)刺戟語をいいうと、先ず「はい」といってから反応したり、反応語の前に何か言う場合
(9)明らかに奇妙な反応
(10)同じ反応語がくり返される
(11)観念の固執(たとえば「頭」に対して「鼻」と反応し次の「緑」に対しても「目」と反応したりして前の観念が固執される場合、このようなことは重篤な精神病でもないかぎり、極めて稀)
・カイン・コンプレックス:兄弟や同僚との関係に対するコンプレックス
・エディプス・コンプレックス:男性の場合、母親との関係に起因するコンプレックス
・エレクトラ・コンプレックス:女性の場合、父親との関係に起因するコンプレックス
具体的にどんな時にどう感じることがコンプレックスなのか?
コンプレックスの具体例を3つ紹介します。
・自分は負けず嫌いだ
サッカーで思うようにプレイできない時、「いや自分ならできる筈だ」、「そもそもサッカーなんかで喜んでいるのは馬鹿な人間だ」、「自分もカッコいいゴールを決められたらなあ」などと、言語化し得ない感情を味わう筈である。それが複雑で理解できないから、イライラもするし、しなくてもよいことをしてみたりする。自我である程度意識されるのは、その劣等感の方ではあるが、そこに優越感が微妙にいりくんでいるところが、コンプレックスの”コンプレックスたるゆえん”である。
・辛い経験をした自分だからこそ誰かを救いたい
自分は何も価値のない人間だからと自殺を図った人が、少し元気になってくると、自分と”同じように悩んでいる世界中の人を救いたい”などということがあります。死ぬより仕方がないという程の劣等感と、世界の悩める人を救ってみせる程の優越感が”共存”しているところが、劣等感の特徴である。そこでの強い判断の揺れが、この人を自殺という行動に追いやるのである。
・気になる異性にイジワルしてしまう
彼女の自我が一面的な成長をしているとき、いわば異性コンプレックスとでもいうべきコンプレックスが無意識内に形成され、その圧力が自我をおびやかし始める。ここで表れた対人恐怖症という症状は、安定を崩されたくない自我と、それに圧力をかけているコンプレックスとの妥協の産物のようなものと言うことができる。
しかし、カウンセラーとの話合いを通じて、自我はだんだんとコンプレックスの存在を認め、また、自分は異性に関心をもたなかったという一面性も認める。コンプレックスに対する反撥は同級生のAさんに対する非難という形でなされるが、それに伴う感情を放出した後には、コンプレックスを自我の中にとりいれてゆくことに成功する。
自己実現が重要視される理由
今日、自己実現の問題を重視しなければならない理由のひとつとして、
外的世界の拡張の凄まじさをがあると言われています。
交通機関の急激な発達によって、私たちは思いがけない外的な拡がりをもつようになりました。
たとえば「アメリカでは生涯の転職回数の平均が13回で転職が当たり前」や
「欧米では長期の休暇がありバカンスでゆったり過ごす」などこれまで日本にはなかった考え方や
生き方に対し望む望まないに関係なく触れるようになり、
外的刺激によって自身の生き方に向き合う機会が生まれたのでは無いでしょうか?
あるいは、それ程広く考えないにしても、今日の情報過多は、あらゆる機会で私たちのコンプレックスに作用を及ぼします。
誰かが簡単に儲けた情報を聞くと、お金コンプレックスがくすぐられる。
自分は損をしたのではないか、自分はバスに乗りおくれたのではないか、と疑い始めると地に足がつかなくなってくる。
「私」というものに対する強い確信がないとき、情報量の多さに比例して、その人は安定をゆすぶられる。
ハッキリと、自分の自己に根ざした道を歩んでない人は、常に危険に晒されているような感覚になっているのでは無いでしょうか?
かつて、私たちが様々な制度によって外的規制を受けているとき、
私たちはその定められた器の中で、一生を送る必要がありました。
ある程度決められたレールがありました。
その器(レール)に入ってさえすればそれで良かったとも言えました。
逆に定められた器の中に、自己実現の過程を収めきれない人は不幸でさえありました。
今日、私たち人間は努力を重ねて、そのような外的規制を弱めつつあります。
ひとつの例をとれば、わが国では、誰でも能力さえあればどのような大学へもいけるようになっています。
しかし、問題は、一体自分は大学へいくべきなのか?いくとするならばどこへいくべきか?
を、どうやって決めるのか?にあります。
つまり、私たちは自分の自己実現の容器をも、自ら選び、自らつくらねばならない状況にあると言えます。
ともすると、容器を大きくすることに力を費しすぎて、
その器の中にいれる内容が粗末になっていたりはしていないでしょうか?広く浅いだけになっていませんか?
今の時代の精神は、この容器の大きさを重視する傾向があるとも見ることができるのでは無いでしょうか?
外界が拡がるにつれ、それに対応するコンプレックスが作用を受ける。
その上、外界の拡充にエネルギーを費やしすぎたため、内面と向き合うことへ費やすエネルギーが少なくなり、
外界から受ける害は倍増する。他人のキラキラSNSを見て落ち込んだ経験はありませんか?
外界への拡充が容易にできてしまう現代だからこそ、自分の内面と向き合うことの重要性は益々増していると私も考えております。
コンプレックスの解消
コンプレックスの「解消」は、何らかの意味で死の体験を伴っているとユングは述べています。
『コンプレックス』の中で筆者が述べた
「私たちが、コンプレックスの解消を成し遂げた患者に接するときに感じる、あの淋しさと悲しさは、死の体験を背景にもつからであろう。」
という言葉にはハッとさせられました。私も1年以上にわたるキャリアカウンセリングを通して
クライアントの変わっていく姿を見て、喜びを感じるとともに、どこか寂しさも感じておりました。
出会った時の彼・彼女はもうそこにはいないわけですね。
ただ、コンプレックス自体が消滅した訳ではなく、本人のコンプレックスとの向き合い方や付き合い方が変わっただけであり、その人の人格がまるっきり変わるという話ではありません。
コンプレックスの可能性
ユングはコンプレックスの表出はマイナスの面もあることを認めた上で、
そこに人格の発展の可能性として、目的論的な見方を導入しました。
「コンプレックスは広義においての一種の劣等性を示す。このことに対して私は、コンプレックスをもつことは必ずしも劣等性を意味するものでないとただちにつけ加えることによって、限定を加えなければならない。コンプレックスをもつことは、何か両立しがたい、同化されていない、葛藤をおこすものが存在していることを意味しているだけである。それは障害であろう。しかしそれは偉大な努力を刺戟するものであり、そして、新しい仕事を遂行する可能性のいとぐちでもあろう。」
コンプレックスは、新しい仕事を遂行するためのいとぐちともなろうとユングはのべています。
小さく固まろうとする自我に対して、コンプレックスという発展のいとぐち(苦難でもある)をつきつけ、
自我がより高次の統合性を志向してゆくよう導く、そんな可能性があると述べています。
まとめ
コンプレックスとは、私たちの心の中にある感情が結びついて、日常の考え方や行動に影響を与える現象のこと。
仕事が辛い、将来への不安、ストレスや人間関係の悩みなど多くの悩みを抱える方々がいます。
しかし、コンプレックスを解消し、向き合い方を変えることで、自分を好きになり、
武器に変えるヒントが見つかります。
ユングの考えに基づくと、コンプレックスは新しい目標に向かうきっかけであり、
自己の統一を高める手助けをしてくれるものです。
また、コンプレックスは劣等感や優越感として現れることがあり、
その解消には何らかの死の体験を伴うこともあると言われます。
しかし、コンプレックスは人格の発展の可能性を秘めており、
新しい仕事を遂行するためのいとぐちとなることもあります。
現代社会での外界への拡充に対して、自己の内面と向き合うことの重要性が増しています。
自己実現に向けて、自分の内なるコンプレックスと向き合い、その可能性を探ることが大切です。
茂木健一郎先生の解説も面白いので参考にしてください!
脳の邪魔しかしない劣等感、優越感よ、さようなら!
・劣等感は身近な人に対してしか感じない。
わきまえるための反応。
脳の強化学習は自分との比較でしか発動しない
レッドオーシャンでしか発生しない。入試とか。
・優越感は熊の縄張り争い
伸び代も無い
せこい、近くしかみていない
自分自身の成長にしか意味がない
自分の成長軌道に乗って空を飛ぼうぜ!